11月21日(月曜日) 曇り 昨日の東京国際女子マラソンは高橋尚子さんが優勝したそうで。本当に良かった。 オリンピック代表に選ばれなかった時は、「これで彼女はランナーとしても人間としてももう一回り大きくなるだろうな」と確信しましたが、その後様々なアクシデントにみまわれ、「さすがのQちゃんももうダメかな」と思ったりもしました。今回の結果をインターネットで探した時も結構緊張してしまいました。でもやっぱりあの人はスゴイですね。優れたランナーというだけでなく、人に勇気を与えるという点では稀有なアスリートだと思います。心からお祝いを言いたいです。おめでとうございます。 今日月曜は映画が安い日なので、街中のシネコンで「ランド・オブ・ザ・デッド」を観ることに。 映画まで少し時間があったので、お袋へのお土産、エナメル・グラスのベルを探してウロウロ。 グラス屋がプラハの中心から姿を消したことは以前書きましたが、今日気づいたのは、残っているグラス屋もいい品が少ない、いやそれよりも商品の絶対数が少ないということです。これに気づいた時はビックリしました。 一体どうしたことでしょう。チェコ国内で売るよりも、より高い値段で買い取ってくれる外国の店に商品を輸出しているのでしょうか。それともプラハで高いテナント料を払って店舗を出すよりもネット上で販売する方が安上がりということで、直接販売から手を退いているのか。実際、ネットの方が品数も多いし、値段だってたいして違わないのです。これではプラハでグラスを買うという意味がなくなってしまうではありませんか。ま、ぼくにはどうでもいいのですけど。 で、「ランド・オブ・ザ・デッド」。 ぼくはジョージ・A・ロメロ監督のファンではありませんし、彼のゾンビ(living dead)物の第一作でカルト古典となっている「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生(原題“Night of the Living Dead”)」(1968年 日本劇場未公開)もさほど面白いとは思っていない。むしろ、彼の相棒で特殊メイクアップ・アーティストのトム・サビーニがリメイクした「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/死霊新世紀」(1990年)の方が出来がいいと思っているぐらいです。 でも第三作「死霊のえじき(原題“Day of the Dead”)」(1985年)は結構好きでした。「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」で発生し、第二作「ゾンビ(原題“Dawn of the Dead”)」(1978年)で繁殖したリビング・デッドが世界中を席巻してしまい、軍の地下基地に少数の人間が生き残っているだけという設定のこの作品には、これまでこのシリーズを覆っていた終末感が極めつけになった、ヒヤリとするような厳しさがありました。 「死霊のえじき」で完結したかと思われたリビング・デッド物を二十年ぶりに復活させた「ランド・オブ・ザ・デッド」は、金持ちは厳重に警備された高層ビルの中で優雅な生活をおくり、一般庶民はビルの周囲、高圧電流が流れる有刺鉄線で囲まれた土地で、細々と暮らすという、今現在我々が生きている世界の縮図的設定となっています。 結論から先に言うと、たいして面白い作品ではなかったのですが、一つ感動したことがあります。それは映画の中で描かれるリビング・デッドの扱い方です。 鎖で繋がれたリビング・デッドの前で悲鳴をあげて記念写真を撮るサービスがあったり、リビング・デッド同士を闘わせる闘鶏のようなギャンブルがあったり、街の中ではリビング・デッドが出てくる人形劇(パンチ劇)を子供たちが観ている。単なるホラー映画監督にはリビング・デッドについてここまで深く思索をめぐらすことはないでしょう。 これらの描写を観た瞬間、ぼくは「ああ、ロメロという人は本当に真剣にリビング・デッドを使って世界を風刺しようとしているのだなぁ」と思いました。そういえば第一作の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」がそもそもヴェトナム戦争を風刺したものでした。 1時間40分と上映時間が短いため、映画の中の設定が活かされることなく不完全燃焼に終ってますし、映画全体からかつての怜悧な終末感が消えたのも不満です。でも世界の抱える問題をホラー映画の形で提示するジョージ・A・ロメロの作家としての骨太さが健在なのを見ることができ、少し嬉しかったのも事実です。「死霊のえじき」がまた観たいなぁ。 余談ですが、「ランド・オブ・ザ・デッド」の中で前述のトム・サビーニがカメオで出てまして、山刀を持ったリビング・デッド(右写真)を観た瞬間「あ、これトム・サビーニやん」とすぐわかった自分が嬉しかったような情けなかったような(トム・サビーニの顔ってスゴク特徴あるとはいえ)。ぼくって実はホラー映画ファンだったのかしらん。
by yaliusat
| 2005-11-22 08:01
| 映画
|
ファン申請 |
||