1月11日(水曜日) 曇り時々晴れ このところ、仕事の合間に昼寝をしないせいか(!)、帰ってくるともうやたら眠くて、そのままバタンキュー(← 死語?)と寝てしまう日々が続いてます。 湯布院映画祭の実行委員仲間Sくんからいただいた漫画『自虐の詩(上)(下)』(業田兼家 竹書房文庫)読了。 元ヤクザでグータラ、博打好き、気に食わないことがあるとすぐちゃぶ台をひっくり返す人非人、人間の屑イサオさんと、彼から離れることが出来ず尽くし続ける幸江さんのお話。本書はもともと『自虐の詩』のタイトルで複数の主人公が登場するオムニバス4コマ漫画だったのを、〔幸江とイサオ〕シリーズとして再編集したものだと。 この作品が感動的、泣けるということは以前インターネットの書評で読んでましたし、これをくれたSくんも「(上)を読んだ段階では、これほど泣ける展開になるとは思えなかったのだけど、これが泣けるんよ」と言っておりました。 ところがぼくはちっとも泣けなかったのですね。一つにはこの二人の関係が〔口には出さないけど心の深いところでは愛し合っている〕という超日本的なそれで、外国生活が長くなったせいかそういうのに「やれやれ、またかぁ」と思ってしまう自分がいるということがあります。また、そういった形で愛し合っている幸江とイサオに嫉妬して素直に感動できないぼくの卑小さもあるでしょう。 ほとんど苦痛に近い退屈さを感じながら読んでいたこの作品の中で、ぼくが唯一共感を持てた、ホロリとしたのは幸江の中学校時代の友人熊本さんが絡むエピソードだけでした。だからラスト近くで妊娠した幸江が人生の意義を認識し、それまで愛憎半ばしていたまだ見ぬ母に手紙を書く展開も、「悪くはない」程度にしか感じていませんでした。 ところがところが、大ラスで作者は反則スレスレの技を使います。(警告:以下、本作のネタばれになります) それは二十年近く会っていなかった熊本さんと幸江が突然、何の伏線もなくいきなり再会するのです(熊本さんはどうやって幸江の電話番号を突き止めたのか、という突っ込みはナシよ)。 中学時代、髪がボサボサで、「髪は肩まで」という校則を違反して教師に叱られてばかりいた熊本さんはショートカットで、しかもキレイな奥さんになっているのです。(もちろん彼女の素が変化できる範囲でですが) ショートカットになった彼女を背後から描いたコマ、そして前からの切り返しのコマを見た瞬間、ぼくは泣いてしまいました。結婚して子供もいて、多分幸せな家庭を築いている熊本さんの姿に、溢れて出る涙を止めることができませんでした。(まるで浦山桐郎の映画「非行少女」のラストを観た時のよう) おそらくこのシリーズを描いている過程で、作者の意図せぬうちに作品のポイントが幸江とイサオの関係ではなく、幸江と熊本さんの関係に移ってきたのでしょう。もしこれが予め緻密に計算されたものであったとしたら、この漫画の作者業田兼家は天才だと言えます。 これはぼくにとって人に薦めるのが難しい作品です。というのも上記のようにほぼラストまで退屈していたからです。でも泣けました。こう書くのは恥ずかしいけど、かなり泣きました。Sくん、この本をくれてありがとう。
by yaliusat
| 2006-01-12 09:32
| 読書
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