2月27日(月曜日) 晴れ時々曇り 「四枚のおふだ」の作業から逃げ回っていたので、今日から再開。“Cas zakladani”のセットアップの間に絵コンテの再検討。結構やることがあって、このままサボっていたらトンデモナイことになるところでした。アブナイ、アブナイ。 近くのシネコンが安い月曜日。今日は特に観たい作品がなかったので、前回少し眠ってしまった「ミュンヘン」に再度挑戦。(今回も少しウトウトしたけど、前に観ている箇所でしたから勘弁してください。ホント寝不足なのです) 前回この作品を観た時は、「スピルバーグが「死」だけでなく「性を含む生」を正面から取り上げた力作」という意のことを書きました。今回再見して新たに気づいたのは、この作品では食べ物が重要な役割を果たしている点です。 主人公のアヴナー(エリック・バナ)は優れた料理人であり、暗殺チームのメンバーとの初顔合わせでは自分の手料理でもてなす。そしてある暗殺の後では、殺人の穢れを祓いおとすかのように大量の料理が、食べる人間もいないのに作られる。 それだけでなく、これがおそらく映画の最も重要なポイントだとぼくは確信してますが、「ミュンヘン」では信頼し合っている者同士が必ず食事(それも手料理)を共にする。つまり物を一緒に食べるという行為が人と人を結びつける、信頼を象徴しているのです。その最もわかりやすい例はアヴナーがルイのパパ(ミシェル・ロンズデール)およびその家族と食事をするシーンです。そしてパパはアヴナーにお土産として自家製のソーセージとチーズを渡す。 この点に気づくと、アヴナーが暗殺任務に出発する直前、上司のエイフラム(ジョフリー・ラッシュ)と海岸通りを歩いているシーンで、エイフラムがユダヤのパンだかなんだかを食べていて、それをアヴナーに勧めるのだけど、考え直してすぐ引っ込めていたのを思い出しました。(この辺、ぼくが英語を聞き取れなかったし、チェコ語字幕を読んでも完全には理解できなかったので、あの食べ物がなんだったのか把握できてなくてスイマセン。ご存知の方、ご教示下さい) 暗殺任務が終了し(?)、アヴナーが家族のいるアメリカに行く時、今度は逆にアヴナーがエイフラムに食べ物(多分前と同じ物?)を勧めます。でもエイフラムはそれを受け取ろうとしない。つまりアヴナーとエイフラムの間には信頼関係は生まれなかったのです。 これに対し、同胞であるイスラエル人たちに自分と家族が命を狙われていると恐慌状態に陥ったアヴナーがパパに電話をするシーンでは、パパは自分が決してアヴナーを売ったりはしないことを明言し、彼にアメリカでは手に入らないようなチーズとソーセージを送ったことを伝えます。同胞が敵であり、異邦人が味方(味方とまでは言えないけど)という状況。それを象徴するのが性と並んで生の最も大切な要素である食事。ま、パパが本当にアヴナーを売っていないかどうか疑問はあるのですが。でもそこは信頼ですから(笑)。 食事に招待し食べ物を分かち合うという行為がユダヤ人にとって重要であることは映画のラスト近くのアヴナーの台詞にもあります。(旅人を迎える時、パンと塩でまずもてなすというチェコの伝統ににてる?) そしてここで再びアヴナーはエイフラムを家族との食事に招きます。果たしてエイフラムはそれを受けるでしょうか? 同胞でありながらお互いの立場を理解し合えない二人は和解の道を見つけるでしょうか? 食事を映画のヘソにするというのおそらく原作にはない、脚本家が思いついたものだと思います。ここまでは脚本家の功績ですが、それが絵となり役者の巧みな演技が加わった時、実に効果的に見える。そこがとても感動的です。やはり映画は集団芸術なのです。 死と生(性)とをカットバックで並行して描き、対比させるやり方はよくある手でさほど感心はしませんでしたが、この食事の使い方には唸りました。「ミュンヘン」は一回目よりも二回目の方が感動的でした。
by yaliusat
| 2006-02-28 08:43
| 映画
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