4月16日(日曜日) 曇りときどき雨 午前中、スタジオ近くのショッピングセンターで買い物。盗まれて困っていた自転車(MB)の後輪用泥除けのやっと合うタイプを見つけてホッ。139コルナ(約695円)でした。封切り映画館の入場料よりもちょっと安いぐらいです。 珍しく金に余裕があり、しかも「連休どこにも行かないのだから」と、昼食は豪奢に(?)スタジオそばのビアハウスで。まずは生ビール小ジョッキを飲みながら、パトリシア・ハイスミスの『生者たちのゲーム』 (松本剛史訳 扶桑社ミステリー)と中村元(はじめ)の『龍樹』 (講談社学術文庫)を交互に読書。 前者、ハイスミスの初期作品(第六作 1958年刊)は珍しや“フーダニット (Who done it)” もの。でもハイスミスは結局ハイスミスで、犯人当てのミステリなぞ書いてるつもりはなく、ドストエフスキーを思わせる〔罪と罰〕をめぐる対話があったりして、興奮。 後者、大乗仏教の巨人、龍樹(りゅうじゅ=ナーガールジュナ)の空(くう)の思想(空観)を、日本仏教界の重鎮中村元氏がやさしく説いた本……な筈なのだけど、ちーとん(ちっとも)理解できん。自分が形而上的なことを理解する脳をもっていないと痛感。 「すべては空」を説く龍樹ら中観派を攻撃する説一切有部派(せついっさいうぶは)の「すべては空と言っても、「すべては空」という説がそこには在るではないか」という理屈(言葉尻をとらえた屁理屈?)の方が正しいような気がして。禅仏教徒としてはこれではいかんのですけど(笑)。仕方ないので理解できた箇所まで戻って読みなおすことに。 小ジョッキを飲み干したところで、ビールのお代りと昼食を注文。鶏肉のコルドンブルーにフレンチフライの付け合せ。味はマアマア。食べ終わると、ビールの残りを飲みながら、また読書。ああ、なんという贅沢。昼飯代はチップを入れて115コルナ(約575円)。日曜だから昼間の安いメニューがないので、少し高めでしたが、それでもプラハの中心に較べればまだ安いです。 午後、家に電話。既に聞いている緑内障の件をぼくに初めて伝えるかのごとき口ぶりで母が話すので、「ボケできてるなぁ」と少し哀しくなりました。早く日本に完全帰国して両親の面倒をみたいのだけどそうも行かず、もどかしく歯がゆい思いをしています。チェコに滞在するのもあと一年が限界ではないか。 後、メールの確認とネットサーフィン。イースターカードを送ったせいで、いつになくメールが来てました。といっても四、五通ですが。メールを下さった方、ありがとうございました。返事はおいおい書いていきます。 昨日レンタル屋で借りたDVD “Bride & Prejudice” (2004年 イギリス・アメリカ 監督グリンダ・チャーダ)と、「イントゥー・ザ・ブルー」 (2005年 アメリカ 監督ジョン・ストックウェル)をコピー。 既に一度映画館で観ている前者は、ボリウッド映画界最高の振付師サロジ・カーンの振り付けによる踊りをもう一度観たいので(ヒロインがご贔屓アイシュワーリャ・ライだし)。ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』を歌と踊りが一杯のボリウッド風味で映画化したこの作品(タイトルが pride (プライド) ではなく bride (ブライド=花嫁)なのがミソ)、割と面白いのに何故日本未公開? チェコでヴィデオスルーの憂き目にあった後者は、もちろん主演のジェシカ・アルバの水着姿のみが目当て。(!) 今晩もスタジオに泊ろうかと思いましたが、せっかくの連休をかけ布団もなくカーペットにごろ寝というのも寂しいので、零時前、小雨のふる中を自転車でアパートに帰りました。こういう時は自転車があると便利です。おやすみなさい。 #
by yaliusat
| 2006-04-17 08:25
4月15日(土曜日) 曇り 久しぶりの連休だし昨夜十分寝たことでもあるので、今日は久々に映画ハシゴの日と決定! まずは11時15分から、昨年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞した「ある子供」 (2005年 ベルギー/フランス 監督ジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ)を観賞しました。 ダルデンヌ兄弟の作品は前々作「ロゼッタ」(1999年 ベルギー・フランス)で、人生に絶望してガス自殺しようとする少女が、そのためにわざわざ重たいガスボンベをえっちらおっちら運び、でもあまりの重さに耐え切れず放り出してしまい、自殺さえできない自分に涙するラスト、悲惨の極致の厳しさと爆笑的状況を並存させた凄さに唸って以来気になってました。それなのにどうしても時間が合わなくずズーッと見逃していたので、この機会を逃してなるかと。 若い二人のカップル、ソーニャとブルノに赤ん坊が生まれる。ところがブルノは親になった自覚などまるでなく、盗みで得た金も欲しいと思った服を買ったり、カッコイイ車を借りることですぐ使ってしまい、挙句自分の息子のジミーを売り飛ばしてしまう。そんな彼に愛想を尽かしたソーニャはブルノを警察に訴える。ブルノは組織に金を返すことでなんとか赤ん坊は取り戻したものの、仕事がキャンセルになった分の損料を組織から要求され、窮地に陥った彼はまた盗みに走る…。 全篇ほぼ手持ちカメラ(多分ハイヴィジョン)で撮影しているため、画面が常にバストサイズで、構図にこだわるぼくとしてはこれでまず気がそがれました。手持ちばかりで行くと引き絵をどこで入れていいのか、そもそも入れていいのか(入れることで映画のリズムが崩れてしまうのではないか)、大引き絵のパンは手持ちでブレずに出来るのか等々、作者自身迷ってしまうのではないでしょうか。これは今後ヴィデオ世代の映画監督たちが抱える問題になるのでは? ならんかなぁ。 余談ですが、人形アニメの場合、手持ちで撮影した風に見せかけるためにはわざわざ計算して画面の揺れを作らなければならず、時間がかかる上それに見合うだけの効果があるかどうかわからないので、ぼくはやったことありません。やってみたい気もしますが。 しかし、「ロゼッタ」のようなどうしようもない凄さを期待していたこちらとしては、「ある子供」はちょっと肩透かしでした。 因みに、タイトルの「ある子供」(L’Enfant)とは赤ん坊ジミーではなくブルノをさしているのでしょうね。 一時間半ほどインターバルをおき、今度は韓国の天才キム・ギドクの新作 “Hwal / The Bow (弓)” (2005年 韓国/日本)へ。 映画の舞台は海の上に浮かぶ古びた漁船。船には老人と十六歳の娘が住み、釣り人たちを迎えている。老人と娘はほとんど口をきかないが、釣り人に請われれば老人は弓を使って少女に矢を射かける占いもする。老人は娘が十七になるのを待って結婚するつもりでいた。しかし、ある日船に一人の青年が訪れたことで、二人の関係の歯車は狂いだす……。 おーっ、キム・ギドク、陸(社会)から孤立した島(?)という、傑作「魚と寝る女」と同様の神話的設定に帰ってきてくれたではありませんか。これでは期待せずにいられるかというもの。 ところがこちらの期待しすぎや、前作「うつせみ」が大傑作だったせいか、この作品は全体的にちょっと肩透かし感が。これがキム・ギドクでなければ、面白いと思えるのでしょうけど、天才へのハードルは高いのです。ラストの神話的展開はいかにもキム・ギドク的で満足しましたけど。 キム・ギドクの映画を観ていると、「韓国人になりたい」と思ってしまうお調子者のぼくですが、ミハエル・ハネケも同じくらい好きだけど、「オーストリア人になりたい」と思わないのは何故。テオ・アンゲロプロスでギリシア人、ヴィクトル・エリセでスペイン人になりたいとは思います。山中貞雄がいたから日本人でよかったとも思いますです。 その後、スタジオに行き、イースター・カードをメールで大量発送。くたぶれたぁ。スタジオ泊。(4月16日 記) #
by yaliusat
| 2006-04-16 22:36
イースターはキリストの復活と春の到来を祝う行事がいっしょくたになったのだと思いますが、チェコでは女性(女の子からおばあさんまで)が生命の誕生を象徴する色づけした卵を男性に送り、そのお礼として(?)女性は男性から木の枝で編んだ鞭でお尻を叩かれます。なんで女性が男性から鞭で叩かれなければいけないか、昔は知ってたのですがもう忘れました。どなたかご教示ください。 春が皆さまにいっぱい幸せを運んできますよう。 #
by yaliusat
| 2006-04-16 22:18
| チェコ
4月14日(金曜日) 雨 朝、雨がぱらつき、合羽はスタジオに置いたままなので、バス出勤。 昨日のチェコ人はドイツが嫌いについてもう少し。 ヨーロッパでは他国人を笑いものにすることが昔から行われており、チェコも例外ではなく、ドイツ人を皮肉ったアネクドート(小噺)の類はこと欠きません。ぼくはどうもあの他国人を嘲笑うというのに慣れなくて、いつも不快な思いをしています。 チェコは小国ですから、オーストリア・ハンガリー帝国の昔から大国の思惑に翻弄され続け、影でバカにして笑うぐらいしかできなかったのでしょう。それを文学にまで高めたのがチェコの国民文学といわれるヤロスラフ・ハシェクの『勇敢な兵士シュヴェイク』。あの韜晦ぶりというか、間抜けを装ったのか本当に間抜けなのか判然としない態度、敗北主義と言っていいそれには我慢できず、未だに最後まで読んだことがありません。問題に立ち向かうのを最初から諦め、嘲笑うことで自分自身を誤魔化してしまうという、ぼくが最も嫌いなチェコ人のメンタリティ。(← チェコ人好きの日本人からの反論待ってます) ところで、外国人を笑いものにするに話を戻すと、日本ではあまりこの類のギャグというのにお目にかからない気がするのですが、これもぼくが無知なだけ? もちろん例えば戦前戦中には中国人、朝鮮人、鬼畜米英と笑い者にしていたのでしょうが、敗戦後、そういったことが精神的にできなくなったのでしょうか。これは精神的に健康なのか不健康なのか。 こちらがシノプシスを上げたにもかかわらず、プロデューサーが見積もりの作成をぐずりやがって。今週中に日本側に送りたかったのにダメでした。ブツブツ。 帰ってからあまりに疲れていたので、服を脱ぐと同時に寝床にもぐり込み、そのまま朝まで寝てしまいました。(4月15日 記) #
by yaliusat
| 2006-04-16 07:38
| チェコ
4月13日(木曜日) 曇り ジェームズ・キャメロンがドイツの軍艦ビスマルクを追ったテレビ用ドキュメンタリー “Expedition: Bismarck ” (2002年)が昨晩放映されたのですが、ぼくは例によって途中でウトウト。 このドキュメンタリーを観たうちのプロデューサーが朝食の席で(ぼくを含めうちのスタッフの多くはスタジオで朝食昼食を食べるのです。ぼくの場合は夕食も)若いアニメーターたちに、「ドイツを絶対に信頼してはいかん」と訴えてました。彼は第二次大戦を経験した世代ですからそう言うのも理解できますが、若い同僚たちもやはりドイツは嫌いであると言っておりました。そういや知り合いのチェコ人のおばあちゃんは「ロシアはまた絶対チェコに攻めてくる」と言ってた。ウーム。 外国人のぼくから見ると第二次大戦の戦争責任についてドイツは日本とは比べ物にならないほど周辺国に謝り続けています。去年だったか一昨年だったか、第二次大戦中にドイツ軍によって酷い目にあった旧チェコスロヴァキアのユダヤ人およびその遺族は補償をするから申し出るようにというキャンペーンを未だにやっていました。 それだけやっても許してもらえない。「それだけのことをやったのだから仕方ない。五十年や百年では歴史の痛みは癒されない」という意見には基本的に賛成ですが、しかしドイツの若い世代が「いったい自分たちはいつまで謝り続ければいいのか」と感じるようになる気持ちも理解できます。 あまり追い詰めすぎると、第一次大戦後のヴェルサイユ条約でドイツをきりきりに締め上げた結果が第二次大戦に繋がったという歴史が繰り返される可能性もなくはありません。その場合、締め上げすぎた側にも責任はないと言えるかどうか? で、こういう話が出るといつも不思議なのは、たかだか百年ちょっと前の阿片戦争がなぜ話題にならないのかということ。ぼくの知るヨーロッパ人はアヘン戦争が何故起こったかどころか、そんな戦争があったことさえ知らない奴がほとんどです。自分たちががいかにアフリカをムチャクチャにしてきたかも知らん。 翻って日本に関しては、いつまでも「既に話がついたこと」とかたくなな態度をとるばかりではなく、補償されてないという人がまだいるのなら補償すればいいし、「日本はきちんと謝っていない。謝れ」という国があるのなら謝ればいいとぼくは考えます。そうしていったんケリをつけた上で、今度は未来のことについて話合いをすればいい。名目不明な支援金は払わないなら払わないとはっきり言えばいいのです。いつまでたってもアヤフヤにしているから、戦争責任を外交カードとしてダラダラネチネチと使われてしまう。 ところで、日本とドイツは第二次大戦の戦争責任が今でも厳しく問われていますが、イタリアのことはあまり聞かないように思うのですが、ぼくの単なる無知なのでしょうか。 仕事を早く切り上げ、外国人警察にヴィザ延長の問い合わせに行ったところ、昨日わざわざ足を運んで確認した午後七時までという営業時間は、外国人警察全体に適用されるもので、インフォメーションおよび幾つかの部署は午後三時半まででした。で、五時前に着いたぼくは当然バツ。クソーッ、勇気をふりしぼって行ったのにぃ……。そんなこと正面玄関のドアに貼っとけよぉ! ウームムムムム。 思いがけず時間が余ったので、外国人警察の近くにあるアート系の映画館AEROで六時から上映の「君とボクの虹色の世界」 (2005年 アメリカ)を観ることに。パフォーマンス、音楽、小説、モダンアートとジャンルを越えて活動する女性アーティスト、ミランダ・ジュライ Miranda July の監督第一作で、あちこちで評判がいいから結構期待していました。 ところが上映が始まると、映写技師のミスでスクリーン横のマスク(暗幕)の位置が正確でなく、画面の両側が大幅に切れている。それなのに例によってチェコ人で文句を言いにいく者は誰もおらず、皆おとなしく見ている。おまえら目がおかしいんやねえんかっ! 仕方ないのでぼくが毎度お決まりの「なんで外国人のわしがこんなことせにゃいかんのか」とブツブツ言いながら会場の外に出て、映画館の人間に状況を伝え、改善してくれるよう訴えました。当然映画の頭は見逃し。 数分後にその問題は解決されましたが、まだ画面の上下がだいぶ切れているし(字幕がスクリーンからはみ出しそうな位置にある)、フォーカスも甘いという最低の上映。ウーム。 というようなトラブルがあり、映画に集中できませんでしたので、これはいつかもう一回観に行きます。 #
by yaliusat
| 2006-04-14 06:22
| チェコ
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